「わが生活と音楽より」
さらにあと2枚、ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第0番を聴く

文:ゆきのじょうさん

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 拙稿「ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第0番を聴く」に対して、松本さんが「ベートーヴェンのピアノ協奏曲第0番をもう少し聴く」と題した大変詳細な論説を書いていただきました。その内容について私からは何も付け加えることはありませんが、松本さんは2枚のディスクについて(私が勝手に想像するに、意図的に)言及を避けておられました。

 これは、私に向けてのメッセージであると(これまた、勝手に)受け止めましたので、残りの2枚について採りあげたいと思います。

 

■ ピアース/レシュハ盤 

CDジャケット

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン:
ピアノ協奏曲第0番 変ホ長調 WoO.4

ジョシュア・ピアース ピアノ
ビストリク・レジュハ指揮スロヴァキア国立フィル

録音:1998年2月24-26日、スロヴァキア、コシツェ、
米MSR Classics(輸入盤 MS1200)

 ピアノ協奏曲全集として発表された3枚組CDの1枚目に収録されていました。正規(?)の第1番から第5番に加えて、この第0番とピアノ、フルートとファゴットと管弦楽のためのロマンス・カンタービレホ短調、ピアノと管弦楽のためのロンドWoO.6が収録されています。このうち、最後のWoO.6は第2番のフィナーレとして作曲されたという経緯があるそうです。さて、ベートーヴェン/ピアノ協奏曲全集という企画においてこの第0番が収められたセットは、私が知る限りこれが唯一ではないかと思います。その意味では大変貴重なセットです。

 特に明記されてはいませんが、おそらくはヘス復元版をそのまま用いた演奏だと思います。しかし、ピアースは、グリフトウーヴナ盤のような上品で軽妙さも併せ持った演奏ではなく、かと言ってアンダー盤のような鋭さを感じる演奏でもありません。とても堂々とした良い意味で構えの大きい響きであり、一方で奇をてらったところがない折り目正しい演奏です。低音が重視されたオーケストラの伴奏も相まって、ベートーヴェンらしいと言えば誠にベートーヴェンらしい演奏です。第三楽章もややリタルダントを掛けたりもしていますが、無理にテンポを速めることはなくじっくりと弾いています。「皇帝」も含めた他の協奏曲も同じ姿勢で取り組んでいるので、この第0番だけが突出した存在になっていないのも好感が持てました。ピアースはアメリカ生まれのピアニストでリストやブラームス、ラフマニノフ、そしてケージの録音があるようですが、私はこのディスクで初めて名前を知りました。良い意味でアクが強くないピアニストだと思います。

 

■ パチャリエッロ/ティガーニ盤 

CDジャケット

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン:
ピアノ協奏曲 変ホ長調 WoO.4(1784;
(R.D.ティガーニの新校訂版による世界初録音)

マウリツィオ・パチャリエッロ ピアノ
ロベルト・ディエム・ティガーニ指揮サッサリ交響楽団

録音:2001年12月14日、2002年12月9-13日、サッサリ、テアトロ・ヴェルディ
伊Inedita(輸入盤 PI2326)

 ベートーヴェン・レアリティーズと題されたシリーズの第2巻に収載されたものです。その名の通り、ベートーヴェンの作品であまり録音機会のない曲を録音していく、という企画のようですが、このディスクでのカップリングではヴァイオリンと管弦楽のためのロマンス第1番、第2番という有名曲があるので、その選定基準はよく分からないのが正直なところです。

 さて、このディスクでは、従来のヘス復元版ではなく、指揮をしているティガーニによる校訂版で演奏しているのが特徴です。解説書には本件に関するティガーニ自身の文章があり、それによるとティガーニはヘス復元版を聴くと「細かく刻んだ工芸品を、スリガラスを通して見ているような印象」と表現し、さらに「その工芸品を作った絶妙な職人技に感謝することが不可能になる」と書く酷評ぶりです。そしてヘスの復元は「1940年代の思想的に硬直したものが最大限に発揮された基準で作られていて、現代の音楽学的研究から疑念をもって修正されるものだろう」とまで言い切っているのです。要するにヘス復元版は時代遅れのもので、曲本来の繊細な部分が聴き取れなくなっている、と言いたいのだろうと理解しました。例えば、として楽器編成について、ヘス復元版は楽譜に書かれていたことを参考に「2本のフルート、2本のホルン、弦楽合奏」となっているのですが、これはベートーヴェン自身にも他に用いていない編成であり、理論的にもおかしいと指摘しています。そこでティガーニは「フルート」「ホルン」と書かれていたのは各々「木管」「金管」楽器を代表して書いたのであり、実際は他の管楽器も使用されたと推定しています。その後延々と楽器の使用方法などをモーツァルトの協奏曲などを引用しながら論じているのですが、流石に素人の私には分かりかねる部分がほとんどでした。最後に「ヘス復元版と自身の新しい版を比較することは、ベートーヴェンが生きた当時の音楽を探究するという、真の学問的対立そのもの」とまで自信に満ちた書き方が目立ちます(一方で、ティガーニは文章の最後で、ヘスの遺した業績の価値まで批判しているわけではない、という付言もしていますが)。

 さて、そのティガーニ校訂版ですが小編成のオーケストラを用いて、音を積み重ねていくというよりは、散りばめていく、と感じました。ヘス復元版と同じような楽器の扱いもあれば、どんどん別のパートに受け渡していくという箇所もあって、確かに音色は多彩になっており、しかも響きには透明感があります。よく考えられた復元だと思いますが、ちょっと音色が万華鏡のように感じるところもあり、ヘス復元版を意識しすぎているのではないかとも考えました。演奏は明るい響きを基調としたもので、パチャリエッロのピアノも個性的に振る舞うこともなく、まず曲そのものを聴いてもらおうという姿勢が強く感じられるものです。

 

 

 

 今回採り上げたディスクでのソロを担当しているピアース、パチャリエッロとも、やはりさほど名前の知られていない演奏家、と言わざるを得ないでしょう。やはり、メジャーレーベルのピアニストが採り上げる機会は今後も少なそうです。私としては、ピアース盤はヘス復元版としての第0番の一つの究極的な形を具現していると思いました。パチャリエッロ盤は、新しい第0番を模索するもので、これが松本さんも採り上げたブラウティハム盤にも受け継がれているのだと考えます。これからも決して数は多くないだろう第0番の新譜において、この曲の位置づけがどのようになるのか、興味深く見ていきたいと思います。

 

2009年10月7日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記